尻が拭けない
別に私だけではないが、年寄りになると尻が拭けなくなる。
「ウォシュレットがあるからいいじゃないか」なんてふざけたことをぬかすのはケアマネぐらいにしてほしい。」
老人デイサービス事業所では老人には気が付かないように尻拭き動作に似た運動やゲームをする。
そんなことして再び尻が拭けるようになるわけないことは皆、百も承知である。
全く意味がないことと知りつつくだらないことに付き合わされる老人はみじめである。否、立派である。さすが年の功。
しかし、全くひどいもんだ。これを昔から「支援のための○○」という。
要はケアマネや事業所が監督官庁のためにする仕事っていう意味である。
それでわずかな金を得る。老人はそのお付き合いをするってこと。
家族は全てを受け入れる。そうでもしなきゃ老人を預かってくれないから自分が迷惑するってことね。
本当に、よかった。よかった。
ケーキを三分の一に切れるかどうか?
私境が界知能であるというのはあくまで自称である。
他称とするには医者のところに行って図るしか手はないが、まっぴらごめんである。
何度も言うが小学校5年生の時、人生で最初で最後の知能検査を受けた。
結果を信じるに値するのはとびぬけて高得点だった二人のその後である。
ひとりは早稲田の理工。もうひとりは東大である。
ならばこの結果を受け入れない訳はない。
これも自称だが発達障害やら性格異常もかなりやぱい。
よくぞここまで無事生きてこれたものである。齢六十三。
よかった。よかった。
電話なんかいらない。
オレオレ詐欺だか振り込め詐欺だかしらないが、以前、出入りさせてもらっていたおばあちゃんも危険にさらされた。
キャッシュカードを作っていなかったから、どう振り込めばいいか分からず銀行員に相談したら即、詐欺と知った。
派出所に出向いて説明したら、けんもほろろに追い返されたらしい。
怒り心頭のまま帰宅すると管轄の警察署に怒りをぶちまけたらしい。
そしたら大変よ。どこの派出所か教えろときた。「何されるか分からないからいやだ」というも、とうとう懐柔され止めりゃいいのにゲロった。
その後は知らんが、相手は警察だぞ。何されるか分からんぞ。相手にするなって。
こんなことがあったんで、当人は自衛のため自宅電話に何ぞ撃退用のなにがしを取り付けていた。
うーん。分からん。ってか固定電話いらないでしょ。
よかった。よかった。
諦めている老人
北欧に限らずまともな国は、老人が自力食べられなくなったら「もうこの人は寿命だよ」と判断して静かに死を迎えさせてくれる。
日本も早くこんな正常な国になって欲しいなんてちっとも思わない。
無理だからである。 理が無いのである。
責任は老後を見据えて海外逃亡できるよう人生を構築してこなかった自分に帰する。
ただし若者諸君に言い訳はきかない。
日本脱出を図らなければ我々よりはるかに酷い老後がまっていること、火を見るより明らかである。
早く逃亡したまえ。
よかった。よかった。
こりゃだめだ!!
18歳、高卒後には予定通りニート、バイト、ニート、ニート、バイトで21歳の頃一人暮らしをはじめたはいいがやっぱりバイト、バイト、無心、バイト、無職なんて生活。25歳の時バイト先に15歳の少年が入ってきた。勿論、仕事内容も時給も全て同条件。
こりゃだめだ!!10歳違いだぜ。それから遅ればせながら就職先を探し求めたってこと。
とりあえず見つかるんだぜ。いい時代だったよね。何しろ40歳近くまで勤めたんだぜ。今なら完全アウト。
努力や人徳じゃないよ。ただ時代が良かっただけ。
今の若者と違って運が良かった。
因みに今の日本人って歳を取っていれば取っているほど運がいいんだぜ。
ただ若年層は日本に見切りをつけて海外で生活する絶好のチャンスでしょ。
昔は思いもよらなかった。
日本にしがみついたりしてちゃだめだよ。まして日本や地域を変えようなんて選挙なんかに行ってる場合じゃないよ。
議員が儲かるだけだから。
もう変わらないよこの国は。沈没日本丸だからね。
よかった。よかった。
長生き。
私は40代から50代にかけて雇われ労働者として、老人介護関係の現場でバイトや最下層社員を10年ぐらい続けてきた。
結論は簡単で「要介護状態になるとあんなところにいかなきゃならんのか。悲惨きわまりないな」ってこと。
もっとも働いている方がよっぽどな惨状だが。
今、私は63歳だが後5年したら、もう危ない。10年後には待ったなしである。
因みに私の父は65歳で完全に介護状態に入った。思えばあと2年弱か。
要介護状態にならない秘訣はただ一つで、早く死ぬことである。
もとより私は自殺を認めていないので、お迎えを待つしかない。
あとは天に祈るばかりである。
長生きする悲劇とは、
・治りもしない病気の悲惨な治療で医者に金をふんだくられること。
・重篤な後遺症を負ったまま、いつ終わるとも知れぬ人生を生きること。
さて、2つ目の項目については説明を要する。どんな心身の状態であろうともその人なりの夢や希望、楽しみもって生活している人がいる。
残念ながら、私はその人たちのようにはなれないのである。
私には無理である。生まれつき性根が座っていないのである。その上、自身の生に対していかなる障害をも乗り越え、立ち向かっていこうという気迫が皆無なのである。
と、ここまで書いて、ふと気が付いた。重篤な後遺症を残しても明るく生きている人たちってもともと私とは脳の具合が違っているのだろう。
私はラテン系やイタリアンにはなれないのである。
ではまた。