隠居日記

無気力ジジイの最後っ屁

テレビ。

 私は熱く人生を語る人が嫌いである。

 昔の話だが、スポーツの世界大会みたいので熱血系、宝塚系の大金持ちがテレビで騒いだり、アナウンサーがわめいたりするのが我慢が出来ない。

 

 因みにオリンピックは0.1秒も見ない。

 

 だからって訳ではないがテレビは持たない。YouTubeで違法アップロードされたテレビ番組も、もう見る気なし。

 

 昔の老人はテレビつけっぱなしだったが、私は今風の老人なんでスマホYouTube聴きっぱなしである。

 

 しかもスマホは常に身につけてるんで始末が悪い。

 

 どうにか、こうにかこの悪癖からオサラバしたい。

 

 幸せだ。よかった。よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無題。

 何故このような題材を思いついたのかさっぱりわからない。

 

 数カ月前に何かの記事を見たのだろう。

 

 幼い子を残して死んでいく人を見て、親御さんはさぞ無念とは思う。

 子がいない私にとっては助かった。

 

 昔、有名な著述業者が弟子にほう助させて自害した。

 晩年は癌に苦しみつつも評論活動をしていた。

 

 大昔、宮武外骨氏の特集番組で見たが、死ぬまで亡くなった養女さんの赤んぼ時代の写真を肌身離さず持っていた。

 

 まぁとりとめのない話ね。

 

 ではまた。

 

人生は細く短くが良い

 生きてるだけで金がうじゃうじゃ入ってくる医者なら別だが、日本の一般的人民は超貧乏人である。
 

 私のように働く気のない老人はインフレに怯えて生きている。

 

 ただ、一番怖いのは長生きで寿命が尽きればデフレが終わろうが、増税しようが知ったこっちゃない。

 

 もう20年前だが、テレビドキュメンタリーでALSの男性患者さんを扱っていた。

 

 奥さんは疲弊している。患者氏は治療拒否。

 

 医師曰く「治療をすれば月単位で寿命が延びます」って完全に狂ってるよね。

 

 でもここからがクライマックス。

 

 患者氏は倒れ、意識不明、搬送、気が付けば人工呼吸器。医師が患者氏の許可を得て一度スイッチを切る。患者氏は数秒でギブアップ。

 

 他人事ではない。わたしも老人である。

 

 私は長生きが怖い。

 

 

 

 

 

 

いつまでたっても愚図は愚図。

 愚図は多分死んでも愚図のままで、もう隠居生活が4年になるのに何の変化もない。

 

 いまだ奴隷労働時代の発想しかない。行動様式もしかり。へたすりゃ価値観すら変わっていない。

 

 何言ってるか分からんでしょ?

 

 じゃあ年寄りの捨て台詞ね。「年とりゃ分かるよ」

 

 そう言えば図書館で借りてくる本も隷属時代と同じ種ばかり。

 

 まぁ今から変わらんか?

 

 隠居は暇つぶすのが大変なのよ。

 

 よかった。よかった。

 

 

 

脳トレ


 隠居するまでは労働者だった。内容はマックジョブでいわば奴隷であった。

 

 生涯その頃のくせが抜けない。

 

 唯一の趣味であった週刊誌レベルの本を見ることも、通勤奴隷電車か朝マックの時だけとなっていた。

 

 要は家で本は見なくなっていたってこと。

 

 で、隠居に入ってからも数年間は朝マックで本を見ていたが、これはだめだ。

 

 当初なんとか30分見続けていたが、次第に10分以下となり後はスマホと戯れている。

 

 これではマックに行く意味がない。で辞めた。

 

 今はスタンディングデスクと貧乏ゆすり程度の運動が出来るんでステッパーを使って何とか一日15分、とぎれとぎれで本を見ている。

 

 もう流石に本を買うことは無くなった。すべて図書館である。

 

 因みに本を見続けている理由はブログを書くためである。

 

 これが現在おこなっている唯一の脳トレである。

 

 ブログチャレンジも、もう5回目ぐらいで今回もそろそろ飽きてきた。

 

 違う脳トレを探している最中也。

 

 ところで、私にとって本は読むのではなく見るものである。

 

 それと老人が変な計算とか穴埋め問題に取り組んで脳トレと称しているが、ミスターテキトーこと高田純次先生曰く「小学校受験でもするつもりか?」

 

 私もそんな年に近づいた。

 

 よかった。よかった。

 

家庭菜園。

 散歩途中で見る貸農園では立派な野菜が出来ている。

 

 まるで売り物である。

 

 ただ、多くは出来れば満足で収穫もしないもまたおかし。

 

 で、わたしは猫の額で家庭菜園ごっこをしている。まともにできたためしがな

 

去年は自然農の真似事をした。雑草はむしらず、肥料なし。農薬は初めからないけどね。 結果は例年以下。今年は違う理由で草むしりはしたけど、肥料なしで。

 

 なに、ただ面倒くさいだけなんですよ。だいたい愛情込めて野菜作りに励むなんて柄じゃないんでね。

 

 よかった。よかった。

 

 

我慢の限界。

 

 若い頃は接客や営業。40歳過ぎてからは老人介護の現場等々。

 

 勿論、死ぬほど嫌な仕事ではあったけれど、今日はそんな仕事でもいいところを考えてみましょう。ってことで。

 

 わたしは境界知能+自称発達障害+自称性格異常者なもんで全く向かない仕事に就いても、なぜか勘違いして勤め続けるとっても素晴らしい性格の持ち主である。

 

 即ち努力すればどうにかなるっていう間違った思い込みね。

 

 で、接客なら客から嫌われ続けても、営業ではコンスタントに最下位を続けても常に勘違いがある。

 

 要は早く見切りをつけて辞めろってことね。これが出来ないんですよ。まともじゃないからね。

 

 で、だらだら55歳まで全く合わないところに雇われてたがとうとうプッツン。

 

 もう限界。ってこと。

 

 この勘違いが無ければとても2年後の65歳から毎月7万円以上の公的年金は受け取れなかったね。

 

 ずるずる続けたお陰です。石の上にも30年ってこと。

 

 まぁバカの効用ですよ。

 

 よかった。よかった。